(いとじょうあと)
怡土城跡
国・史跡

【詳細】
名称 怡土城跡
フリガナ いとじょうあと
員数  
所在 前原市
指定年月日 昭和13年8月8日
追加等指定年月日 昭和19年6月5日(追加指定)


【説明】
 高祖山の西側斜面一帯に構築された山城で、天平勝宝8年(756)大宰大弐であった吉備真備を専知官として建設が始まり、真備が造東大寺長官となって都へ帰って後は、天平神護元年(765)に佐伯今毛人が専知官となり神護景雲2年(768)に完成している。 これは、当時の新羅に対する侵攻政策の一拠点として建設されたものである。 現在確認されている城跡は、東の稜線を利用して境とし、北は尾根づたいに5カ所の望楼(見張り台)を配し、南は谷を通り3カ所の望楼、西は山麓に接して平地に土塁、石塁を延々とめぐらし、城門・水門があり、全長約1.6kmの梯形内を城域としている。なお、望楼には礎石が遺存し、瓦・土器・下駄などの遺物も発見されている。 怡土城は、後の原田氏の居城高祖城に利用されることとなる。