上伊田西区の獅子楽
【かみいたにしくのししがく】

上伊田西区の獅子楽
【開催場所】
田川市 風治八幡神社
【開催日】
5月第3土曜日、日曜日
【指定】
指定なし
【アクセス】
JR田川伊田駅より徒歩3分

【由来等】
 獅子舞の起源は鎌倉時代まで遡るといわれ、農村地帯に五穀豊穣、無病息災を願う人々によって広がった。天正年間(1573〜1592)に豊後の大友氏の兵火が当地を襲い、神社仏閣はことごとく焼かれ、風治八幡神社もこの時焼失した。その後の社殿再建奉祝の時、まだ、山笠を建立していなかった馬場、猫迫地区の氏子が集まり金田町稲荷神社から指導を受け獅子舞を奉納したと伝えられている。筑豊の獅子舞は二大源流の一つが筑穂町の大分(だいぶ)系、もう一つが庄内町綱分系といわれる。田川市稲荷町の獅子舞は綱分系の金田町稲荷神社から伝承されたといわれているが、芸態は大分系ともいわれ、大分は京都石清水八幡宮の獅子舞を習得し奉納されたともいう。楽打ち(稚児舞)の由来は定かではないが天明年間(1781〜1789)の大飢饉のあと、「獅子舞と共に稚児舞を奉納した」と言い伝えがある。昔は村中を巡回、軒先で、村中安全、夏中諸病退除、牛馬安全を祈った。

【活動の歴史】
 1884(明治17)年、各神社の例祭式のうち、風治八幡神社神幸祭の行列に「獅子2頭、獅子楽」の記載があり、具体的な活動がわかるのはこの頃からである。明治末には鉄砲町、中伊田、番田、下伊田からは山笠を(合計4基)、上伊田からは獅子舞というきまりであった。当時は馬場と猫迫が1年交代で舞い、奉納していた。大正初期に馬場地区は横木地区と一緒に山笠を建てるようになり、猫迫は独自で獅子舞を奉納するようになった。さらに昭和10年に白鳥神社が無格社から村社に昇格され、昭和21年に白鳥町、馬場が白鳥神社の氏子となったことから、獅子舞は猫迫単独となり、それ以降「猫迫の獅子舞」と呼ばれるようになった。第二次大戦中一時中断したが、昭和23年に復活。現在上伊田西地区獅子楽として活躍している。風治八幡神社の神幸祭には欠かせないものになっており、昔から、獅子が舞わないと神輿が動けないとの伝えもあり、その重みがうかがい知れる。200210月20日佐賀県で開かれた第44回九州地区民俗芸能大会に福岡県の代表として出場した。

【芸能を行う理由・目的】
 五穀豊穣、無病息災、家内安全

【舞・踊りの特徴】
 獅子舞は「曲」と「舞」で構成される。「曲」は静、「舞」は動に当たり、獅子は雄雌が激しく動き、争うように感じるが、お互い顔を寄せ合い、体をくっつけ合い、上になり下になり、見上げるなどの仕草が仲睦まじい。楽は、太鼓、小太鼓、笛がリズムよく連打され獅子の動きと合い、見ている者を引き込む。稚児舞は小学生の男女で構成しており、顔に薄化粧、口に紅をさし、規則正しく舞う様は獅子舞にもまして人気がある。獅子は稚児舞の環の中で嬉しそうに舞う。
民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。



田川市
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このホームページの情報は、2002年11月から2004年3月の間に行った取材を元に掲載しています。
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