九州歴史資料館|Kyushu Historical Museum

展示案内概要

 開催中及び開催予定の展示   
展 示 室 等 展   示   内   容 予  告
第1展示室 特別展「福岡の至宝に見る信仰と美」
        10月6日~11月29日
企画展「朝鮮通信使と福岡」
        12月12日~2月14日
特集展示「北部九州の経筒遺宝」
        12月12日~2月28日
第2展示室 企画展「福岡の古代豪族」
        9月15日~11月29日
企画展「古代・中世の人々と暮らし」
        12月1日~3月21日
第3展示室 基準資料展示(常設展示)
第4展示室 企画展「福岡の古代豪族」
        9月15日~11月29日
企画展「古代・中世の人々と暮らし」
        12月1日~3月21日
九歴ボランティアによる古代体験 ※現在休止中
(有料、無料体験あり。予約不要)毎週土・日曜日及び祝日(第2土曜日は13時から)
「飛び出すむかしの宝物」 ※現在休止中
(収蔵品オンデマンドサービス・予約不要)毎週日曜日
文化情報広場 パネル展「世界遺産 沖ノ島」
        9月15日~11月29日
パネル展「邪馬台国への道 前編(再)」
        12月1日~3月28日
玄関横展示スペース 三沢遺跡紹介パネル展示
令和2年度 展示計画一覧
pdf 九州歴史資料館 展示計画のご案内 PDF:139KB
pdf 九州歴史資料館 下半期スケジュール PDF:603KB

【展示解説シート】
資料を詳しく解説した「九州歴史資料館展示解説シート」を展示室に備えていますので、ご自由にお取りください。
展示解説シートはここからもダウンロードできます。

第1展示室 第3展示室 ロッカー展示 第4展示室
▲第1展示室(第3展示室から見た様子) ▲第3展示室-基準資料展示- ▲第4展示室-遺構展示-

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第1展示室-展示案内

九州歴史資料館移転開館10周年記念特別展 「福岡の至宝に見る信仰と美」

九州歴史資料館は、令和2年度に太宰府市から小郡市に移転して開館10周年を迎えます。当館ではそれを記念して、県外に所在する福岡県ゆかりの考古、歴史、美術、工芸などの様々な分野における至宝、名品を一堂に会した展覧会を開催します。
福岡県の悠久の歴史をもの語る考古資料や古文書、アジアとの交流で育まれた美術工芸の作品の数々は、福岡の成り立ちやその展開、発展を考える上で欠かせないものです。今回はそのような文化財の中から特に「信仰と美」をテーマに7章構成でご紹介します。

    

第1章 祭祀と美の萌芽

九州北部に位置する福岡の地は、古来より大陸から先進的な文物がもたらされ、それを積極的に受け入れてきた土地でした。そのはじまりは稲作や青銅器や鉄器文化が入ってくる弥生時代であり、それらは福岡のみならず日本の文化を形作りました。
次の古墳時代には「富」をもった「王」が、その死に際して自らの墳墓を巨大化させ、権力や権威をあまねく知らしめるようになりました。古墳では「王」を弔うための様々な祭祀が行われ、絢爛豪華なそして美しい副葬品を入れて、その人物の遺徳や業績などをしのぶ場となりました。

銅戈 三角縁神獣鏡
▲重要文化財 銅戈
春日市小倉新地(紅葉ヶ丘遺跡)出土
京都・京都国立博物館所蔵
  ▲三角縁神獣鏡
  糸島市一貴山銚子塚古墳出土
  京都・京都大学総合博物館所蔵

第2章 経塚遺宝

福岡は経塚造営の一大中心地でした。その分布の中心は玄界灘や響灘に面した北部九州地域と宇佐・国東半島を中心にした豊前・豊後地域です。そして、福岡には霊山と呼ばれる山岳霊場も多く、四王寺山、英彦山、求菩提山、背振山、油山、首羅山などそのほとんどといってよいほど経塚が造営されています。天台宗や山岳修験の動向がこれら霊山の経塚造営にも影響を与えてきたとされ、さらには中国の陶器が経筒や外容器として使用され、大陸からの流通拠点でもあった福岡では宋人が経塚の造営に関わっていることも特徴でしょう。

経筒
▲重要文化財 滑石製外容器(左) 銅製経筒(右)
伝太宰府出土
奈良・奈良国立博物館所蔵

第3章 古代文書にみる大宰府と寺社

律令制における最大の地方官衙(かんが)(役所)である大宰府は、上級の官庁である中央政府の太政官(だいじょうかん)に様々な上申文書や帳簿を提出し、所管の西海道の九国三島の国府・島府に宛てて下達文書を発給し、また管内の寺社にも文書を発行しました。
ここでは、東大寺文書の中の観世音寺文書と、石清水八幡宮文書の中の筥崎宮塔院(はこざきぐうとういん)関係文書から、大宰府と寺社や信仰の関係をみることにします。

観世音寺資財帳
▲国宝 観世音寺資財帳(部分)
東京・東京藝術大学所蔵

第4章 円珍と円爾の事績

大宰府・博多は入唐僧や入宋僧にとって求法(ぐほう)の旅の発着地でした。平安時代、円珍(えんちん)は大宰府滞在中、九州の神々に祈祷を行い、帰国後は延暦寺座主(ざす)として天台宗の発展に尽力しました。
鎌倉時代、円爾(えんに)は中国径山(きんざん)の無準師範(ぶじゅんしばん)に参禅し、帰国後は博多承天寺(じょうてんじ)を創建し、さらに京都東福寺の開山となり師の願いである禅宗の興隆を実現しました。

僧円珍牒 無準師範尺牘
▲国宝 僧円珍牒(御祈祷転経牒状写)
滋賀・園城寺所蔵
▲国宝 無準師範尺牘(板渡しの墨蹟) 無準師範筆
東京・東京国立博物館所蔵
[※展示期間:10/6~11/1]

第5章 華開く信仰の美

縁起絵(えんぎえ)は寺社の由来を説き、その繁栄と霊験(れいげん)を表すものとして制作されました。描かれた境内(けいだい)の風景からは神仏習合の様子が窺(うかが)えます。太宰府天満宮にもかつて天神さまの本地仏である十一面観音が祀(まつ)られていました。
信仰に関わる福岡ゆかりの金工品には、筑後国清楽寺旧蔵の金銅板両界曼荼羅(まんだら)や筑前国芦屋鋳物師(いもじ)によって製作された鰐口(わにぐち)があります。

玉垂宮縁起絵
▲重要文化財 玉垂宮縁起絵 
福岡・玉垂宮所蔵(京都国立博物館寄託)
[※展示期間:10/6~11/1]

第6章 芦屋釜と茶道具の世界

芦屋釜は福岡県遠賀郡芦屋町(筑前国芦屋津)で中世の室町~戦国時代にかけて生産、隆盛を誇った茶の湯で使われた鉄製品でした。芦屋釜は茶の湯にとってなくてはならない必須アイテムでしたが、中世から近世にかけて茶の湯は権力や権威などの場でもあり、さらにはコミュニケーションの場でもありました。福岡の戦国大名の黒田家、豊前地域を支配した細川家もまた茶の湯に精通した家でした。そして、江戸時代の初期には、黒田家の茶の湯を体現した茶陶「高取焼」と細川家の茶の湯を体現した茶陶「上野(あがの)焼」が登場します。そして、その伝統はその後も続き、多くの名品を生み出しました。

霰地楓鹿図真形釜 鉄釉太鼓形花入
   ▲重要文化財 霰地楓鹿図真形釜 芦屋
   京都・細見美術館所蔵
 ▲鉄釉太鼓形花入 上野焼
 熊本・松井文庫所蔵

第7章 黒田家の名宝

黒田家は黒田官兵衛が豊臣秀吉を支えその礎を築き、その子長政は徳川家康に仕え、初代筑前藩主として福岡を発展させてきました。名門武家、近世大名としてそれ以降十二代の長きににわたり、福岡藩主として役目を果たし、福岡の地で歴史と文化を育んできたといえます。その黒田家の長い歴史の中で残された文化財や資料は、近代の時間の中で失われてきたものもありますが、「重宝」と呼ばれた貴重な歴史的、文化的遺産は多くの方々の尽力により大切に保存され、今日我々が博物館や美術館で見ることもできます。

源氏物語 若紫 「筆耕園」山水図 
  ▲藤原定家本 源氏物語 若紫(部分)
  黒田継高旧蔵、大河内家伝来
  個人所蔵
 ▲重要文化財 唐絵手鑑「筆耕園」二帖のうち 山水図
 伝夏珪筆、黒田家伝来
 東京・東京国立博物館所蔵
 [※展示期間:10/6~11/1]
pdf 出品目録 PDF:235KB

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第2展示室-展示案内

企画展「福岡の古代豪族」
展示風景① 展示風景②

かつて福岡の地には「筑紫君」や「宗像君」といった古代豪族が独自の勢力を築いていました。その姿は、彼らが残した古墳や、そこから発掘された出土品によってうかがい知ることができます。
本企画展では、福岡で活躍した古代豪族の姿を出土品から解き明かします。
【会期:令和2年9月15日(火)~令和2年11月29日(日)】

呰見大塚古墳の単鳳環頭柄頭飾 アマゾナイト製の玉 下関要塞地帯看板
   ▲呰見大塚古墳の
    単鳳環頭柄頭飾
呰見大塚古墳(みやこ町)で見つかった、大刀の柄頭に装着された金銅装の飾り金具です。中央に鳳凰の頭部がかたどられています。
 ▲アマゾナイト製の玉
城ヶ谷19号墳(宗像市)で見つかった、アマゾナイトと呼ばれる稀少な石材でつくられた玉です。朝鮮半島から海を越えて伝わりました。
     ▲珍敷塚古墳の壁画
珍敷塚古墳(うきは市)の奥壁には、赤や青の顔料を使って人物や船、同心円、矢筒、鳥やヒキガエルなどが描かれています。

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九州衛星写真(中央部床)  大宰府政庁中門復元模型

足元には10万分の1(1㎝=1㎞)の九州の衛星写真があり、地形の様子などと関連づけて展示を見ることができます。 また、1/10の大宰府政庁の中門の模型も展示しています。

第2展示室 大宰府政庁中門復元模型
▲第2展示室(中央部床に九州の衛星写真) ▲大宰府政庁中門復元模型(スケール1/10)

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第3展示室-基準資料展示-展示案内

「基準資料」を展示しています。「基準資料」とは、発掘の際に年代などを特定する基準となる考古資料のことで、これまでの研究の積み重ねの結果、培われてきたものです。 ロッカー状の展示ケースを使って、時間の流れに沿って弥生土器、須恵器、古代の瓦を展示しており、土器の形や組み合わせの変化をお楽しみいただけます。

第1展示室2階の回廊部分にあります。 調査研究によって明らかにされた、資料の型式や年代、地域性を理解するうえで基準となる資料を標本のように網羅的、体系的に展示しています。 通常見ることのできない、資料の集合体や変化の過程を理解することができます。
現在は、福岡県内の重要な弥生時代遺跡(石崎曲り田遺跡、板付遺跡、三雲遺跡など)を取り上げた弥生土器の編年、 西日本最大の須恵器窯跡である牛頸窯跡群出土の須恵器の編年、大宰府から出土した古瓦の編年が、それぞれ分かるように資料を展示しています。 また、引出しとなる資料群展示では、大宰府出土の貿易陶磁器、縄文時代から弥生時代の石器や鉄器など、順を追って分かるように展示しています。
また、ここからは、吹き抜けになっている第1展示室を上からご覧いただけます。 異なる角度から展示物を見ることで、新たな発見があることでしょう。この風景は、他の館では見ることのできない、まさに「歴史(とき)の宝石箱」です。

pdf 解説シート28(平成25年2月) 基準資料展示室と文化情報広場
-九州歴史資料館2階の展示スペース-
PDF:415KB
基準資料展示 引き出し展示 見下ろした風景
▲年代に沿って並べて展示していますので、変遷の様子が読み取れます ▲引き出しに収められた文化財を手元でご覧いただけます ▲第3展示室から見下ろせば・・・
そこはまさに「歴史の宝石箱〔第1展示室〕」

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第4展示室-遺構展示-展示案内

ここでは、九州各地の遺跡からみつかった遺構をそのまま移設した「床下展示」をおこなっています。 ガラス越しに本物の遺構を真上から覗き込むようにご覧いただけます。 各時代の珍しい遺構の様子がみられる、画期的な展示です。

九州各地の遺跡で見つかった遺構の一部を覗き見ることができます。 普段見ることができない、各時代の珍しい遺構です。 現在は、旧石器時代の鹿児島県桐木耳取(きりきみみとり)遺跡の調理場の痕である礫(れき)群、 久留米市正福寺遺跡出土のドングリ入りのアミカゴ、 飯塚市嶋廻(しまめぐり)遺跡の弥生時代の小児甕棺墓、 福岡市元岡・桑原遺跡群出土の網カゴに入った須恵器、 大宰府跡発見の地盤補強のための筏(いかだ)状遺構などを展示しています。

pdf 解説シート23(平成24年11月) 地下の中をのぞいてみれば・・・
-九州歴史資料館第4展示室の遺構展示-
PDF:654KB
遺構展示全景 甕棺遺構 休憩室全景
▲第4展示室の遺構展示全景 ▲「甕棺」の展示風景…上のガラスに乗ってご覧ください ▲平日の第4展示室…散歩の休憩や読書などにご利用ください

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バックヤード

中庭からは、文化財整理室での発掘調査出土資料の整理作業や、最新の機器を備えた保存科学諸室の保存修復作業が見学できます。

pdf 解説シート25(平成24年11月) よみがえる文化財
-文化財整理・保存科学見学回廊-
PDF:463KB
バックヤード
▲バックヤード(文化財整理室)


バックヤード

文化情報広場

第4展示室上部の文化情報広場では、各地の博物館の展示情報など、全国から寄せられた文化情報に関する多数のチラシをお持ち帰りいただけます。 また、福岡県が推進している世界遺産登録活動や、県内外の文化財について紹介するパネル展示も実施しています。

pdf 解説シート28(平成25年2月) 基準資料展示室と文化情報広場
-九州歴史資料館2階の展示スペース-
PDF:415KB
パネル展「世界遺産『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」

世界遺産 沖ノ島宗像市沖の玄界灘に浮かぶ沖ノ島は、古代より日本と大陸との海上交通の拠点であり、また信仰の島として多くの文化財を残してきました。福岡県ではこの沖ノ島について、宗像市等の関連遺産も含めた上で、ユネスコの世界文化遺産に登録する活動を推進し、平成29 年度には「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として、世界遺産への登録が実現しました。
本展では、沖ノ島の信仰や祭祀に関するパネルを中心に、関連遺産群まで含め、福岡県が誇る世界遺産について、幅広く紹介します。
【会期:令和2年9月15日(火)~令和2年11月29日(日)】

Webパネル展「朝鮮半島の文化遺産(4)-高麗の山城-」 ※ホームページでのみご覧いただけます

朝鮮半島と北部九州は、古来より人やものの盛んな往来がありました。現在、朝鮮半島には古代の山城や寺院など、多くの文化遺産が受け継がれています。これらの文化遺産は、単に朝鮮半島の歴史のみならず、半島と交流のあった日本、特に北部九州の歴史を解明する上で、貴重な資料となります。
そのため福岡県では韓国国立文化財研究所と学術交流を実施し、長年これらの文化遺産の調査研究を行ってきました。その成果の公開として、当館では、西谷正名誉館長が撮影した高句麗・百済・新羅の山城パネル展を実施してきました。今回のパネル展では、これに続いて高麗の文化遺産について、山城を中心とする城郭の写真を展示します。
この展示を通して、朝鮮半島の文化財を広くご紹介させていただき、日本と韓国との交流の一助となれば幸いです。

開城・満月台の建物跡群(北から) 開城・羅城の石築
▲開城・満月台の建物跡群(北から)    2002年撮影
高麗(こうらい)時代(918~1392)の首都は、朝鮮半島中西部の開城にありました。そのうち、宮城の遺跡が満月台と呼ばれる高台に良好な状態で遺存しています。
▲開城・羅城(らじょう)の石築
開城にあった都城(とじょう)の外郭(がいかく)は、周囲36.2kmにわたって囲まれていました。城壁の上部に狭間(さま)〈銃眼(じゅうがん)〉が認められます。
開城・大興山城 北門〈正門〉 開城・大興山城
▲開城・大興山城(たいこうさんじょう) 北門〈正門〉
                     2004年撮影
開城の中心部から北へ約26kmのところに、王都の北方の守りとして、周囲約7.8kmの石築の大興山城が築かれました。
▲開城・大興山城             2004年撮影
山城内部に立つ観音寺(かんのんじ)です。現在の建物は、朝鮮〈李朝(りちょう)〉時代に再建されたものです。写真左手奥の洞窟(どうくつ)内に、大理石製の観音菩薩像(かんのんぼさつぞう)が安置されています。
大寧江長城 江華島・三郎山城 北門①
▲大寧江長城(たいねいこうちょうじょう)
高麗の北西部の国境地帯には、北方からの契丹(きったん)の南侵(なんしん)に備えて、総延長約120kmにわたる石築の城壁が築かれました。
▲江華島・三郎山城(さんろうさんじょう) 北門①
                     1979年撮影
高宗(こうそう)18年(1231)の蒙古(もうこ)侵入に際し、首都を開城から江華島に移し、約40年間臨時の首都となりました。そのときの山城が三郎山城です。
江華島・三郎山城 北門② 江華島・三郎山城①
    ▲江華島・三郎山城 北門② 1979年撮影
城門部分は、アーチ形に構築されています。ここでは、甕城(おうじょう)〈枡形(ますがた)〉構造が見られません。
▲江華島・三郎山城①           1979年撮影
包谷式(ほうこくしき)の山城ですが、石築の城壁が良く残っています。写真の城壁は、丘陵頂上部に当たります。
江華島・三郎山城② 江華島・三郎山城③
▲江華島・三郎山城②           1979年撮影
包谷式の山城のうち、丘陵頂上部に当たる石築の城壁が良く残っています。
▲江華島・三郎山城③           1979年撮影
石築の城壁の細部です。近くの山から切り出した石材を堅固(けんご)に積み上げています。
江華島・三郎山城 水門 江華島・三郎山城 北門③
▲江華島・三郎山城 水門         1995年撮影
石築の城壁のところどころに設けられた水門の一つです。
▲江華島・三郎山城 北門③        1995年撮影
石築の城壁の一部に設けられた小規模な出入口です。
江華島・三郎山城 北門④ 黄海北道・正方山城①
▲江華島・三郎山城 北門④        1995年撮影
石築の城壁の上部に設けられた狭間〈銃眼〉です。ここから、弓矢などで外敵を迎撃(げいげき)する施設です。
▲黄海北道・正方山城(せいほうさんじょう)①
                     2000年撮影
首都開城の北方防衛のために築かれた石築の山城で、周囲約12kmです。史跡公園として良く整備され、市民の憩いの場となっています。
黄海北道・正方山城② 黄海北道・正方山城 南門〈正門〉①
▲黄海北道・正方山城②(※画像をクリックすると拡大
します。)                2002年撮影
韓国の嶺南大学校博物館に所蔵、展示の絵図(部分)です。山城内部には、成仏寺(じょうぶつじ)も描かれています。
▲黄海北道・正方山城 南門〈正門〉①   2012年撮影
南門に立つ堂々とした楼閣(ろうかく)は近代の再建によるものです。城門は、アーチ形に構築されています。
黄海北道・正方山城 南門〈正門〉② 黄海北道・正方山城 南門〈正門〉③
▲黄海北道・正方山城 南門〈正門〉②   2012年撮影
東側から見た様子です。南門南側の甕城〈枡形〉構造の様子が認められます。
▲黄海北道・正方山城 南門〈正門〉③   2012年撮影
東側から見た様子です。南門における甕城〈枡形〉構造の様子が良くわかります。
釜山広域市釜山鎮区 東平城跡① 釜山広域市釜山鎮区 東平城跡②
▲釜山広域市釜山鎮区 東平城跡①      1992年撮影
発掘調査中の東平城跡です。高麗時代の梁州(りょうしゅう)郡あるいは東萊(とうらい)郡に属した東平県の県城跡は、堂甘洞(どうかんどう)城跡に比定されます。
▲釜山広域市釜山鎮区 東平城跡②     1992年撮影
土塁(どるい)と根石(ねいし)の構造が良くわかります。東平城は周囲1350mの土塁で囲まれた平山城で、東西南の3箇所に城門があります。
釜山広域市釜山鎮区 東平城跡③ 慶尚南道昌原市 薺浦
    ▲釜山広域市釜山鎮区 東平城跡③ 1992年撮影
土塁と根石(細部)の様子が良くわかります。都市化の開発工事で失われたのは惜しまれます。
▲慶尚南道昌原市 薺浦(さいほ)       2008年撮影
朝鮮〈李朝〉時代前期の世宗(せそう)8年(1426)に、日本からの船舶の停泊地として認められた三浦(さんぽ)の一つで、倭館(わかん)が設置されていました。ここには、高麗時代末期に築かれた薺浦鎮城(さいほちんじょう)がありました。
慶尚南道昌原市 薺浦鎮城跡 全羅南道珍島 龍蔵城跡付近の山城位置図
▲慶尚南道昌原市 薺浦鎮城跡       2008年撮影
高麗時代末期の恭譲王(きょうじょうおう)2年(1390)に倭寇(わこう)の侵入を防ぐために築かれた城郭です。元は周囲1377mの石築で囲まれていましたが、現在、山頂(写真)と海岸部で一部残っているだけです。
▲全羅南道珍島 龍蔵城跡付近の山城位置図 1996年撮影
江華島において蒙古勢力に反乱を起こした三別抄(さんべつしょう)は、珍島に移り、抵抗を続けました。その拠点が龍蔵城でしたが、周囲を山城のように城壁が取り囲んでいました。
全羅南道珍島 龍蔵城跡① 全羅南道珍島 龍蔵城跡②
▲全羅南道珍島 龍蔵城跡①        1996年撮影
中枢部の建物群の基壇(きだん)の様子が良くわかります。背後の山の稜線を山城のように城壁がめぐっています。発掘調査後に、現在のように整備されました。
▲全羅南道珍島 龍蔵城跡②        1996年撮影
建物基壇です。石築の基壇の上部には、礎石群が残っています。このような建物基壇が、階段状に造成された平坦面数箇所で認められます。
高麗山城地図
     ▲高麗山城地図
※画像をクリックすると拡大します(PDF:577KB)

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玄関横展示スペース 福岡県指定史跡 三沢遺跡紹介パネル展示

資料館玄関を入ってすぐ右側に、福岡県指定史跡である三沢遺跡のパネル展示を設置しました。 三沢遺跡は、当館に隣接する弥生時代中期(今から約2,000年前)の集落遺跡で、福岡県の史跡に指定されています。 ここでは、三沢遺跡で行われた調査の概要と遺跡の周辺地域の移り変わり、さらには現在の遺跡の様子をパネルで紹介しています。

pdf 解説シート24(平成24年11月) 福岡県指定史跡 三沢(みつさわ)遺跡
-自然豊かな森に眠る弥生の遺跡-
PDF:1,277KB

野外展示 〈石人等〉 〈石棺墓〉 〈五輪塔〉

建物の東側には、石製の野外展示物があります。
〈石人等〉
人を形どった石人は、埴輪と同じように古墳の墳丘にたてられたものです。古墳時代中期の5世紀から6世紀前半までの北部九州に集中して見られ、人に限らず馬や武器などの種類もあります。展示品は、九州最大級の前方後円墳である岩戸山古墳、みやま市の石神山古墳、大分県臼杵市の臼塚古墳で見つかった石人等の実測図をもとに、正確に模刻したものです。
〈石棺墓〉
石棺墓は人を葬る棺に石を用いたもので、昔の墓です。写真の石棺墓は、高速道路の建設に伴い調査された古墳(久留米市御井町 祇園山2号墳)の下から発見されました。今から約1700年前のものと考えられます。
〈五輪塔〉
道を挟んで池側には、五輪塔があります。五輪塔は、平安時代の終わり頃から江戸時代にかけてつくられた石塔の一種で、方形・球形・三角形・半円形・団形の五種類の石を積み上げたものです。それぞれの石には意味があり、「地・水・火・風・空」の五大を宇宙の生成要素とする仏教思想に基づいています。向かって左端が京都郡出土、右の二基が八女地方で発見されたものです。

石人 石棺墓 五輪塔
▲石人等
 〔実測図をもとにした模刻〕
▲祇園山2号墳(久留米市)の墳丘下
 から発見された石棺墓 〔再現〕
▲発掘調査で発見された五輪塔
 〔再現〕
展示エリア 石棺墓 小児石棺墓
▲石棺墓の展示エリア ▲九歴ボランティア制作 石棺墓 ▲九歴ボランティア制作 小児石棺墓

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