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【由来等】 津屋崎祇園山笠は、1714(正徳4)年に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祇園社の神をお迎えして3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことが始まりである。津屋崎祇園山笠が奉納される波折神社は、津屋崎の産土神で「住吉明神」「貴布祢明神」「志賀明神」が祀られる。山笠は、漁業を中心とした「北流」、商業を中心とした「新町流」、農業を中心とした「岡流」、の3つの流れで組織されている。山笠同士がぶつかり合うことも度々で、「喧嘩祭り」ともいわれる荒々しく勇壮な祭である。
【活動の歴史】 江戸時代から明治、大正、昭和と続いていたが、第二次大戦中に中断。戦後再開したが昭和38年に再び中断、昭和50年に復活し現在に至る。山笠はもともと7月19日に奉納していたが、現在では19日に近い日曜に追い山を行うようになった。明治の山笠は高さが10mもあったそうである。祭りの最終日には、山が古い町並みの狭い路地を勢いよく駈け回る博多祇園山笠さながらの追い山が繰り広げられる。
【芸能を行う理由・目的】 疫病退散、災害退散
【舞・踊りの特徴】 「追い山」の前夜には、安全祈願のために大人も子供も締め込み姿で、「流れ」毎に「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声とともに在自金刀比羅神社と宮地嶽神社に走って参る「裸参り」がある。最終日の「追い山」は、3基の山が古い町並みの狭い路地を勢いよく駆け回り、山笠同士がぶつかり合うことも度々で「喧嘩祭り」ともいわれる荒々しく勇壮な祭りである。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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